第9話 地獄からの生還、日常

 針宮さんが卒業旅行から帰ったその足で銀行に行き、助成金がはいるまでのつなぎのお金を借りられるようにしてもらった。銀行の担当者を前にした針宮さんは頼もしくて、その辺はさすがと言ってもよいのだけれど。針宮さん、中小企業診断士としてはまだ未熟なのかも。
 どうやら、助成金の審査に通った時点で銀行でお金を借りる算段をつけておくものらしい。銀行の担当者も今頃って思ったみたいで、ちょっと微笑ましいという顔になった。
 針宮さんはうっかりつなぎ資金のことを忘れていたらしい。本人は忘れていたと認めなかったけれど。試験期間が終わったあとのこともあって、卒業旅行の計画で頭がいっぱいだったんじゃないかと、僕は疑っている。

 

 そんなことも懐かしい思い出になりかけている。僕は借金地獄からのんびりした日常に帰ってきたのだ。
 タピオカ・ドリンクのお店は開店した。商店街へやってくるお客さんがついでに寄ってくれるようになっているし、僕のお店を目当てにやってきてくれるお客さんまでいる。地元のフリーペーパーで紹介してもらったのが効いているのかも。
 最近はタピオカ・ドリンクのお店がから揚げ屋さんに衣替えされたりしているから、希少がられているみたいだし。そこそこ順調にやれていると思う。

 

 針宮さんの仕事は終わった。
 開店用の助成金は振り込まれた。あとは家賃の助成金が一年後と二年後に振りこまれる。中小企業診断士の出番はない。
 お店に針宮さんが顔を出すこともなくなった。
 寂しいわけではない、毎日いろんなお客さんがきてくれるし、常連さんだって何人かいてくれる。でも、すこし寂しいかもしれない。
 最近は、かわり映えのしない毎日が流れて行くように感じる。もしかしたら、こういう状態を充実しているというのかもしれない。でも、満足感はない。そんなものか。幸せな人は自分が幸せだなんて思ったりしないというし。


 親の日本料理屋の手伝いを終え部屋へもどったらタイミングよくケータイが鳴りだした。勝彦だ。画面に名前が表示されている。
 話が長いからこの時間に電話かけてきてほしくないんだけれど、昼も夜も仕事しているし、貴重な休みの日にかけてこられても困る。
 通話ボタンをタップ。
「店出したんだって?」
 何年かぶりに話すのにこれだよ。前置きってものを知らない。中学の頃とかわらないな。
「久しぶりだね」
「今さらタピオカ屋って」
「相変わらず元気そうだね」
「もうどんどん消えていってるだろ、タピなんて」
 略しすぎて、もはやなんのことかわからない。
「勝彦は仕事順調?」
「いつの話だよ、話題が遅すぎる。それより飲みに行くぞ」
「え、今から?」
「今からでもかまわないんけどな、まあ休みの日でいいよ。休みいつだよ」
 勝彦の話についていくのは大変だ。ともかく、休みの日に一緒に飲みに行こうということになった。
 そのあとも中学時代の同級生の話から、あのアイスや例のお菓子のサイズがこっそり小さくされていて実質値上げだという苦情を述べ立てていたのまでは覚えている。小さなネタが延々つづいて、僕は半分意識を失っていた。
 勝彦は僕が話を聞いていようといまいと話しつづける。聞いていなかったとわかっても気を悪くすることがない。もう一度話せるラッキーと思っているくらいだろう。そんなところが、タイプの違う僕たちがなんとなくうまくやっているポイントかもしれない。

第8話 お金がない!

 中小企業診断士の針宮さんに言いつけられたとおり、僕はタピオカ屋開店前に予行演習している。もう少しでお店をはじめるかと思うとワクワクしてきた。
 店内は改装されてシックかつパステル調のやわらかな雰囲気になっている。
 歩きながらだって楽しめるタピオカドリンクということで、テーブルやイスは簡素にしてお安いものでまとめた。
 すべて針宮さんの意見を取り入れたものだ。さすが中小企業診断士、まだ大学生とは言っても抜かりがない。

 でもなぜだ。いま僕の目の前には封筒から出した書面が並んでいる。
 腕を組み、じっくり睨んでも、やっぱり請求書である。請求書と大きく書かれているのだから間違いない。
 全部足したら大した額であり、僕の貯金なんて吹っ飛んでもまだ足りない。
 貯金なんて言っても頼りにならないものだ。やつらはただの数字にすぎない。この一万円は一騎当千、一枚で目の前の請求書全部処理してくれる、なんてたのもしさは期待できない。
 お役所から助成金がもらえて、貯金と合わせたら支払いが済ませられるはずだった。でも助成金はまだ振り込まれない。援軍はまだ見えない。
 僕が支払いをしなかったら、内装や外装をやってくれた工務店の人たちだって、テーブルやイスを納入してくれた業者の人たちだって困ってしまうだろう。

 どうしたものか。親に泣きつけばどうにかなるとは思うけれど。でも、お店を出したいと言ったときに、あれだけ針宮さんがついていれば大丈夫と胸を張ってしまったし、切りだしにくいものがある。
 頼りの針宮さんだけれど、今旅行中なのだ。卒業旅行で海外にいる。海外にいたってケータイがつながらないわけではないけれど、仕事の連絡をしたら旅行の雰囲気ぶち壊しだ。それで遠慮している。

 このままではどうなってしまうだろう。お店に怖いお兄さんたちがやってきて、借りたものは返すってのが世の掟なんだせぇなんていって、お客さんにまで脅しをかけたりして。ああ、もうダメだ。そんな店にタピオカ・ドリンク買いにこようなんて物好きはいない。僕のお店ははじまるまえから台無しだ。

 店のドアが開く音がして、ビクッと体を震わせてしまった。鳥肌まで立って、ビックリしすぎだ。
 外の明るい陽光を背に浮かび上がるシルエット。あたたかな空気がはいりこんで顔にぶつかる。
「ただいま。って、どうしたんですか。銭湯で頭洗って顔をあげたら全裸の悪魔に出会ったみたいな顔してますよ」
 針宮さんだ。怖いお兄さんたちではなかった。
 針宮さんが店の奥にやってくる。
「どんな顔ですか、わけわかりません」
「それより、どうしたんですか。本当に深刻そうでしたよ、タピオカ屋さん」
「そりゃ、深刻な顔にもなるってもんですよ。見てください、この請求書の数々を」
「市場のマグロみたい」
「いや、そんな悠長なこと言ってる場合じゃありません」
 本当にそんな場合ではない。
 助成金がまだ入金にならないのに、請求書がきてしまって困っているんだと説明した。
「そりゃ、そうですよ。助成金清算払い、お金を払って金額が確定してから報告してやっともらえるんです」
「そうなんでしたっけ、それでどうしたらいいんです?」
「あれ? あっ」
「どうしました?」
「いえ、なんでもありません」
 いや、絶対なんかあった。
「もちろん、予定通り。わかっていますとも。助成金が入るまでの支払い用にお金を用意しておかないといけないんですよ。当り前じゃないですか。なに言っているんですか、タピオカ屋さん。いやだなあ」
 なんのことやら。無駄に饒舌になっているし。

第7話 朝食抜きと、なんでも聞いてくれ

 お金をもらうのは簡単ではない。ましてそれが税金となるとなおさらだ。
 中小企業診断士の針宮さんから指導を受けつつ必要な書類をお役所に提出した。商店街にお店を出すための助成金の申請書一式だ。
 書類審査があって通過したとの連絡があったのだけど、つぎは面接試験があるという。試験ではなくて面接審査だけど。
 それが今日あるのだ。なんだか緊張する。
 タピオカドリンクを売っている場合ではない気もするけれど、なにもしていないと余計に落ち着かないと思う。

「おはようございます、タピオカ屋さん」
 いつも元気な針宮さんが目の前に立っていた。でも、今朝は元気がないというか、覇気がない。
「今日ですね、面接審査」
「おはようございます。そうですけど、どうしました。元気ありませんね」
「あはは。ご飯食べている時間なくて、これからですよ。今日は試験なもので」
 うら若き女性がもつにしては大きなバッグ、どんだけ荷物いれているんだってくらい膨らんでいる。そんなバッグからちょいと黄色い箱を取り出した。僕の料理人魂にカチンときた。
「ちょっときてださい」
 カニ歩きでタピオカ屋のスペースから抜けだし、針宮さんの手を取る。このまま自由な世界へ逃避行したい気分もあったけれど、それどころではない。自宅側にまわりこんで玄関を上がり、ダイニングですわって待ってもらう。
 十数分後、針宮さんのまえに朝食を揃えた。
「これから試験で、時間ないんですけど」
「それなら味噌汁だけでもお腹にいれてください。そんな黄色い箱の栄養補助食品だけなんて、僕が許しません」
「なんかキャラかわってますよ」
 と言いつつ、味噌汁に口をつける。
「なにこれ、おいしい」
 箸が焼き魚へ向かう。
「はふっ。ふっくらしてます、身が。このタレがまた」
 ごはん茶碗を手にもつのももどかしいといった雰囲気でご飯をひと口。
「ご飯にあうー」
 箸をもった手でほっぺを押さえている。そんな表情を見せられたら、こっちまで幸せになってしまう。

 食事を終え、お茶を飲む針宮さん。いつもの元気な針宮さんだ。
「いやー、生き返りましたぁ」
「はい、そう思います」
「すごいですね、いきなりきて朝食が用意できるなんて」
「うちの食事は僕が作るんです。それでいくらでも融通が利くんですね」
「すごいことですよ」
 朝食つくるくらい大したことないのにすごいなんて持ち上げられると、本当はもっとすごいんだけどと思ってしまって、素直に受け止められない。かわいた笑いとともに後頭部をかいてごまかした。
「このお魚は? もう食べちゃったけど」
「ぶりの照り焼きでした」
「ぶりの照り焼きだったんですか。わたしが知っているのと全然違う。身がふっくらしていたじゃないですか。うちのはパッサパサですよ」
「まあ、腕の見せ所ってやつです。それよりいいんですか、くつろいでいて。試験なんじゃ」
「そうでした! それじゃ、面接審査ガンバってくださいね、わたしも試験ガンバります」
「ちょっと待って、送ります」
 車庫からバイクを出してエンジンをかけた。父さんのバイクで、サイドカーがついている。針宮さんを押し込めて走り出す。僕の朝食のせいで針宮さんが試験に遅れたら大変だ。

 大学についてキャンパスを小走りにゆく針宮さん、立ち止まったかと思ったら振り返り、手を振りながらごちそうさまでしたーと叫んだ。
 針宮さんの背中を見送って、僕は胸を熱くしていた。朝食抜きなくらい時間がないのに僕のところにきてくれた針宮さんの心づかいに応えないといけない。
 よおし、なんでも聞いてくれ。気合の入れ方まちがってる?

第6話 ふつつかものですが……

「父さん、母さん。こちら、中小企業診断士の針宮さんです」
「針宮沙羅です。お世話になります」
 針宮さんが頭を下げる。僕はとなりで真面目くさった顔をしているつもり。
 向かいにすわっている父さんと母さんは針宮さんを凝視。両親は開店前で、板前と女将の格好をしている。まあ、僕も店を手伝うから板前の格好をしていたりする。
「うむ、そうか」
中小企業診断士っていうと、マーケティングとかブランディングとかの専門家でしょ?」
「ええ、まあ。そういったことの支援もします」
 針宮さんは落ち着いていて、母さんの質問にも的確に答えた。お茶を飲む。
「お茶、おいしいですね」
 得意のにっこりスマイル。いいぞ、父さんと母さんも好印象をもったはず。
「息子を頼みます」
「料理しかできない子に育ててしまったけど、沙羅さんがいればお店も家庭も安心ね」
 ん? なんの話だ。反応がおかしい。
「それで、針宮さんのご両親にはご挨拶したの?」
「母さん、ちょっと待って。なにか誤解がある」
「誤解なんてしていませんよ。経隆がこんなかわいらしい女性を連れてくるなんてね」
「でかしたぞ。挨拶がまだなら早くした方がいい」
 確定した。誤解している。
「ふつつかものですが、よろしくお願いします」
 まさかの針宮さんまで!
「言っただろ、針宮さんは中小企業診断士なんだって。針宮さんもノらないでください。そんなキャラじゃないでしょう」
「わかっている。ちゃんと聞いていたからな。そのナントカ診断士として働きながらだって、女将はできる。俺も母さんも、古臭い考えをもっているわけではないぞ」
「ちがうって、僕は依頼人。針宮さんは仕事できてくれたの!」
「はい?」
 母さん、それは僕のセリフだ。

 僕はヘンな誤解のせいで余計にしどろもどろになりながら両親に説明した。タピオカ屋を本格的にはじめること、商店街にお店の候補を見つけたこと、補助金を当てにしてお得にお店を出すつもりだということ、お店を開店するまでの間、経営的なことを教えてほしいということを。それに、開店までのサポートは針宮さんがしてくれるから安心だということをだ。
「そうか、覚悟を決めたということだな」
 表情の違いはわかりにくいけど、父さんが厳しい表情になったのが僕にはわかった。
「店は継がない、タピオカに人生を賭けると」
「いや、そこまでは言ってない。店を継ぐ気はあるし、今までどおり手伝いはする。それとは別にタピオカ屋をやるから了解してほしいって話なんだ」
「そんな中途半端で男の一生の仕事が務まると思っているのか」
 タピオカ屋を許さないつもりか。
「あなた、なにバカなこと言っているの。いいじゃないの。さっき中小企業診断士やりながらだって女将ができるって言っていたのだもの。それとも」
 母さんはゆっくり父さんに体を向ける。
「女の仕事はおままごとだとでも思っているのかしら?」
 父さんの肩がピクリともちあがった。
「ごほん。まあ、あれだ。体を壊さない程度にだな、無理をするんじゃないぞ。言いたかったのは、そういうことだ」
「母さん、ありがとう」
 憂いが晴れてうれしかった。つい隣の針宮さんの手をとって握りしめていた。針宮さんの顔は浮かなかった。でも、僕のうちはこういう感じなのだ。

第5話 ネーミング・センス

 お役所と言うところは、どうも落ち着かない。ざわざわしているわりに、うるさいってわけでもない。広い空間のわりに、机だの人だのがひしめいてごちゃごちゃしている。
 中小企業診断士の針宮さんに連れられてきたのは、お役所と言っても中小企業振興公社といって別組織なんだとか。僕にはよくわからない。

 商店街にお店を出す、しかもまだ若いということで、補助金をもらってお店を出すことができるかもしれないと言うのだ、針宮さんが。かもしれないというのは、競争があるということ。募集に対して応募が多すぎる人気の制度なのだとか。
 お店の改装費用とか、家賃とか、なんと針宮さんに払う報酬まで補助してもらえるというのだから、利用しない手はない。といっても全額ではなく、三分の一は自分で払わないといけない。それでも開業資金は高額だから、自分のお金だけではお店が出せないと思っている人にとってはありがたすぎる。
 ちなみに補助金と言うのは正確ではなく、本当は助成金と言うのだとか。
 補助金助成金の違いどころか、自分ではそんなお得な制度があるなんてことも知りようがないわけで、やっぱりプロに頼むと結局はお得ということだろう。税理士に頼めば税金が安くなって全体としてはお得になるのと同じ理屈だ、たぶん。
 補助金と言っても、もとはといえば税金なわけで。納税者のみなさん、ありがとう。僕だって払ってはいるけど、少額にすぎない。

 今は、お役所のカウンターのところでイスにすわって係の人に説明を受けている。お役所って、やっぱり企業とちがう。カッチリしたビジネスマンって感じではない。ビジネスマンは緊張させられるし、なんだか怖いと思ってしまって、僕は苦手だ。お役所の人の方がマシというもの。
 係の人の説明は終わったらしい。テーブルには書くべき用紙が並んでいる。
 中小企業診断士の針宮さんが頼りになる場面。提出すべき書類を確認しながらスパッスパッとまとめてゆき、クリアファイルへ差し込んだ。
「いまさらですけど、お店の名前なんでしたっけ」
 僕の方へ向き直って針宮さんが、素朴な疑問をぶつけてきた。
「特にありませんけど」
「お店を出すからには名前を考えないといけません」
 お店の名前を考えなくちゃいけないのか。言われてみれば当たり前だった。どの店にだって名前がついている。僕の場合、実家の日本料理屋がタピオカドリンクを売っている形になっているのかな。
「タピオカ屋でいいんじゃないですか」
 まだ考えている途中なのに、横やりが入った。そういえば、針宮さんは僕のことタピオカ屋さんと呼んでいた。
「嫌ですよ、そんななんの工夫もない。もっとオシャレな名前にします」
「そういえば、名前は?」
「ツネタカです」
「上の名前は?」
 ぐぐ、聞かれてしまった。
「多比岡」
 針宮さんの目が半分閉じた。
「誰でも気軽に、歩きながらだって楽しめるものを探してタピオカにたどり着いたっていってたのにー。名前が似ているからだったんですね。ダマされました」
「いや、真面目に探して、名前はたまたまですよ」
「うっそだー」
 ひどい。
「実家の日本料理屋は? 名前なんですか」
「多比岡」
「わたしのこと、なんの工夫もないってさっき言いました?」
「ごめんなさい。だからその目やめてください」

第4話 クリームソーダの思い出

 空き店舗のシャッターをあげ、カギを開けて中へ入る。
「もとは喫茶店だったんですよ」
 見ればわかる。テーブルにイスがあげてあるけれど、テーブル席にカウンターに、その奥のコーヒーなんかを淹れるところ、さらに厨房が奥にあるのだろう。
「喫茶店のオーナーはどうしたんですか」
「それがですね」
 中小企業診断士の針宮さんが振り返る。はじめてだ、針宮さんが表情を曇らせたのは。
 テーブルにあがったイスを降ろそうとするから、手を貸して四脚のイスをおろした。向かい合わせにすわる。
「仲の良いおじいさんとおばあさんがやっていたんです、このお店」
 おじいさんは喫茶店で働いているときに倒れ、そのまま病院で亡くなったそうだ。おばあさんはショックで寝込み、いまは老人ホーム。子供たちは店を継ぐつもりもなく遠方に住んで会社勤めをしているそうだ。
「喫茶店が閉まって、わたしは子供の頃飲んだクリームソーダを思い出しましたよ」
「僕は親に飲ませてもらえなかったなあ」
 アイスとメロンソーダ、どちらも子供がよろこぶ。それが合体しているのだから、僕だって親にねだるというもの。オレンジジュースにしておきなさいと一蹴されたけれど。
 ふたりして回顧にふけって時間が止まったようになっていた。
「それで?」
「ああ、そうでした」
 現実にもどってきた針宮さんは、なぜか口のまわりをぬぐった。ヨダレを垂らしていたわけではないのに。
「ここどうです? タピオカ屋さん。人通りはあるし、安くないけど借りられますよ」
 安くないというのは聞き捨てならない。安い掘り出し物だから借りろと言うならわかるけど。
 それになにより、お店の経営のことなんてなにもわからない。親の手伝いをしているといっても、仕込みや調理くらいのことだ。
「お店を出すって大変なことでしょう。急にやれといわれてもできませんよ」
「この物件に不満はないんですね?」
「いや、不満とかじゃなくて」
「貯金はどのくらいありますか」
 修行先でもらっていた給料なんて微々たるものだけれど、生活のための出費くらいで使い道がほかになかった。こっちに戻ってきて親の手伝いをはじめてからもかわりはない。無趣味で寂しい人生って気はするけど、貯金はいくらかある。
「十分ですね」
 一瞬視線を上にもって行ったと思ったら、針宮さんはそう言った。そうかな、お店を出せる金額ではないと思うんだけど。
「もしかして借金しろとか?」
「大丈夫です、わたしの報酬も含めてね。それに、お金なんて借りられませんよ。親の手伝いでロクに収入もなく、はじめてのお店でなんの実績もない人にお金を貸してくれるところなんて、まともではないところだけです」
 にこやかに痛いところを突いてくる。
「じゃあ行きましょうか」
「え? どこに?」
「お役所ですよ。善は急げって言うでしょ?」
 突きだした手の人さし指がピンと天を指していた。

第3話 とある商店街の空き店舗へ

 待ち合わせ場所につくと針宮さんはすでにそこに立っていて、さあ行きましょうと言った。到着早々せわしない。

 針宮さんと出会ったのは昨日のことだ。親の日本料理屋の前でタピオカドリンクを売っているところにやってきた。それで僕に店を出せとせっついてきたのだ。
 針宮さんは中小企業診断士。僕は中小企業診断士のことなんてひとつも知らなかったけど、針宮さんのペースに乗せられて、いろいろ話を聞かされたり聞き出されたりした。
 それでも僕が店を出すと言わないものだから、とりあえず待ち合わせしましょうと持ち掛けられた。どうとりあえずなのかわからなかったけど、膠着状態にあってお互いに歩み寄る必要があると感じていたから承知したのだった。

 そして今に至る。
「行きましょうって、どこへ行くんですか」
「とある商店街の空き店舗へ」
「へえ、ロマンチックですね。どこが」
 わかっていた、デートの待ち合わせではない。
 年下のかわいい女の子とデートできたら、そりゃどこにだってついてゆくというもの。でもこれは中小企業診断士の業務として僕に店を出させようという魂胆があってのこと。インチキな壺三十万円なんてわけにはいかない。ひょっとしたら何百万も借金させられて厳しい取り立てが、なんてことにだってなりかねない。いや、国家資格をもった中小企業診断士なんだから、そんなひどいことにはならないだろうけど。
「とあるっていうのは、具体的には?」
「いいからいいから、ついてきてください。はい、行きますよ」
 手首をつかまれ、僕は歩き出すしかなかった。やっぱりひどいことになるかも。

 やや広い道路、アーケードはないけれど、両サイドはお店が並んでいる。ここはもう商店街なのだ。全部二階建てで、一階がお店、上は住居らしい。イメージ通りの商店街と言ったところ。
 お店ではなく住宅だったりコジャレたアパートだったりもある。閉まったお店がぽつぽつある。人は歩いていない。儲からないから商売をやめてしまったのだろう。
 こんなところにお店を出してもお客さんはこなさそう。
「止まって」
「おおう」
 よそ見をしていたから気づかなかったけど、商店街は割と広い道路にぶつかっていて、目の前を車がけっこうなスピードで走っていった。油断ならない商店街だ。
 道路を渡ると、道が狭くなった。それでも商店街がつづいているらしい。狭いうえに自転車が道路に駐めてあって余計に狭い。しかもさっきとちがって人が歩いている。自転車も通る。危ない。なんだここは。

「はい、とうちゃーく」
 僕はシャッターの閉まった店の前に立っていた。往来の邪魔かもしれない。
「沙羅ちゃん、とそっちは誰?」
 となりの店から青年が出てきて話しかけてきた。針宮さんのお知り合いらしい。
「たーくん、これから大学?」
「そう、三コマ目から」
「ガンバって、いってらっしゃい」
 針宮さんは元気よく手を振る。たーくんはまだ話したそうだったけど、向きを変えて行ってしまった。向きを変える一瞬、こっちを見た目がやけに鋭かった気がする。
「たーくんって?」
「ああ、幼馴染ですよ。子供の頃からずっとたーくんだったから、たーくんと呼ばないと感じが出なくって」
「たーくんも沙羅ちゃんと呼んでましたね。よいものです、幼馴染」
「そうですか? 当人たちは別にいいと思っていませんけどね。ちょっとヘンな感じでしょ? 大人になってたーくん、沙羅ちゃんって」
 たーくんの方では別の評価をしていそうだけど。
「ということは、針宮さんも二十歳くらいですよね。それで中小企業診断士として働いているなんてすごい」
「そうです、すごいんですよ。しかもキラキラの女子大生です!」
 女の子がよくやる、横向きのピースを目のあたりにもってゆくポーズでキメた。