第2話 お店を出しましょう!

 場所を日本料理屋の方に移して僕は今、中小企業診断士針宮沙羅と対峙している。
 なぜそうなったかというと、こんなことがあった。

 座について僕がお茶を前に置いたとき、女の子は針宮沙羅と名乗った。
「お茶、どうぞ」
「ありがとうございます」
 お茶を勧めると、ずずっと飲んだ。
「お、おいしい」
 お茶は丁寧に入れればおいしくなる。
 そこからは、ちょっと記憶があいまいになる。針宮さんが中小企業診断士についての話を滔々と述べ立てたのだ。僕の方はと言うと、ぼけっと聞き流すことしかできなかった。
「というわけで、お店を出しませんか」
 ここへもどってくるわけだ。そして、お茶をずずっと、針宮さん。はあと息をついた。
 そのとき僕は感心していた。ずっと話していたことは、お店を出しませんかに集約されるべく話されていたわけで。これはなかなかの話術の達人と言うべきだ。
 でも、お店を出しませんかと言われて、ハイそうしますと答える人はあまりいそうにない。僕だって、本格的にお店を出すって大変なことだとわかっている。
「このお店のうちの人なんですか?」
 言いながら店内を眺め渡す。僕が反応しないものだから話題を変えてきたらしい。
「夜はお店を手伝ってますよ」
「職人の世界でしょ? ということは修行とかしたんですか」
「その世界では有名な京都のお店でね」
「すごーい」
 満面の笑み。ダマされそう。三十万円の壺くらいなら買ってもいいかという気になってしまう。
「だからタピオカドリンクも特別においしかったんですね。でも、それでなんでタピオカなんですか」
「うまく説明できないんだけど」

 僕は話術の達人に向かって自分の考えを説明しなければならなくなった。
 親の店は一度の食事で何万円もかかる高級店なんである。そんなお金を払ってでも食べたいという客は物好きな金持ちくらいのものだ。そんな客だけを相手に自分の料理を出してこの先何十年も生きてゆくのは、なんだかうんざりすることだと思ってしまった。誰でも気軽に、歩きながらだって楽しめる、そんなものを作ってお客さんに提供したい。探していたらタピオカにぶつかったのだった。流行に乗り遅れた感はあるけれど。
 親に店の一部を改築してタピオカ屋をやらせてくれと言ったら反対された。たしかに日本料理屋の一部がタピオカ屋ではおかしな気はする。それでも粘って道路に面したスペースで昼間だけ営業してよいと許可をつかみとった。仕入れは日本料理屋にやってもらっているから、原価とか言われてもわからない。売り上げも、あまり気にしたことがなかった。

 そんなことを、頭から言葉をひねり出しながら、つっかえつっかえ話した。順番がおかしかったりして話のつながりがめちゃくちゃだったかもしれない。それでも真剣に聞いてくれているみたいで、ぼくはどうにか言いたいことを言ったと思う。針宮さんは聞き上手でもあったのかもしれない。

 話を聞き終えた針宮さんは、やっぱり言った。
「お店出しましょう」
 なぜそうなるのかわからない。余計なこと言ったら大変なことになるぞと思って僕は、中小企業診断士針宮沙羅と対峙して微動だにできずにいるのだった。

 

 

 第2話の解説はこちら。

第1話 キミなにもの? シンダンシですっ!

 やりにくい。とてもやりにくい。
「はい、お待たせしました」
 僕は目の前のお客さんにタピオカドリンクのカップを渡す。視界の端には、やりにくさの正体が……。
 二十歳くらいだろう女の子が、さっきからこちらをじっと見つめているのだ。僕のことを見つめているとしか思えない。だって、あの女の子の視界に人間と言ったら、目の前のお客さんと僕くらいのもの。そして、お客さんがくる前から同じ姿勢でじっと見つめられているのだから、標的は僕と思っても自意識過剰ではないはず。
 カップを受けとったお客さんが振り返って女の子に気づき、ぎょっとするのが背中を見ていてわかってしまった。

 はじめあらわれたとき、女の子はお客さんだった。ごく普通の、タピオカドリンクを買って飲んでくれるお客さんだった。むしろ愛想がよいくらい。にっこり微笑んで、僕の渡すカップを受けとってくれたものだ。
 それがなぜか、ブッシュの影に潜んではぐれヌーを狙うメスライオンみたいになってしまった。危機感をおぼえる。
「あの、お店出しませんか」
「わあ!」
 カウンターに乗り出して目の前にメスライオンがきていた。考えごとをしてぼうっとしていたみたいだ。ふいをつかれて、つい声が出てしまった。
「ねえ、お店出しましょう」
 僕はあたりを見回す。ひとりがカニ歩きするスペースしかない、タピオカドリンクを作ってお客さんに渡し、お会計をするだけで手いっぱいの極狭物件。物件とも言えないか。
 親の経営する日本料理屋の敷地に無理にテント式の屋根をつけ、カウンターのつもりの長机を並べただけ、背中のうしろはすぐに日本料理屋の壁、そんな僕のお店。
「えっと、これでもお店のつもりなんだけど」
「原価はいくらですか」
「え?」
「一日の売り上げは?」
「は?」
「貯金はどのくらいありますか」
「あの」
 矢継ぎ早の質問に、僕はすぐに答えられない。というか。
「キミなにもの?」
「あ、すみません。わたし、シンダンシですっ!」
 シンダンシ? 満面の笑顔で言われてもわからない。
中小企業診断士です!」
 中小企業診断士、なんだっけ。いや、中小企業を診断するんだってことは言葉からわかる。弁護士は弁護をする仕事みたいに、診断をする仕事のことなんだろうけど。でも、診断ってなに?
 女の子の笑顔はくもってきた。
「こ、公認会計士は?」
 知ってる。なにをする人かは知らないけど。
「税理士」
 税金をお得にしてくれる人だね。うなづく。
中小企業診断士
 うん? 首をかしげてしまう。
「むむぅ」
 もうほっぺをふくらませている。ごめんなさい。

 

 

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